1.登録事業の幕開け
洋牛は明治元年から輸入されたが、登録機関が設立されていない当時の牛の売買においては、血統書は生産場所または生産組合などが独自に発行していた。わが国の登録事業の公的開始は、明治41年4月3日創立の日本帝国ジェルシー種協会による。
2.日本蘭牛協会の設立
明治44年5月9日に設立され、同年10月1日より登録業務を開始した。いま明治期の改良・登録事業を知るうえで、同協会の設立趣意書(抜粋)を記せば次のとおりである。
「回顧すれば我国畜牛の着手せしより既に40年、…(中略)…巨額の資を投じて輸入せられたる畜牛の如きも、血統保証の機関なきが故に僅かに自家作成の血統書にあまんぜざるを得ず、甚だしきは奸商の偽造に係るものと同一視せられ、其血統は何時しか酒滅して跡を止めざるが如き、あぁ,我畜牛界の恨事ならずや、茲に、吾人同志相図り、日本蘭牛協会を組織し、…(中略)…その血統の保存に努め、尚進んで体格能力の実査を行い、改良発達を期せんとす。」
この趣意書の内容で最も注目すべきは「自家作成の血統書」と「奸商の偽造に係るものと同一視せられ」の2点である。
広江農場が大正年間(明治年間には購入金額の記載漏れが多い)に牛導入を行った血統書と導入金額をみれば、小岩井農場400円に対し、畜産組合発行の町村牧場1,500円と極めて高額である。
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このように、当時の牛の売買額が高額であったここと血統書が生産者の自家作成であったことから、家畜商人が血統書を偽造してあたかも純粋種であるがごとく装い、高い価格で販売している例が多かったものと推察される。
3.ホル協が中畜に合併
乳牛飼養者の要望で設立されたホルスタイン登録協会は大正7年5月10日、社団法人中央畜産会(大正4年設立)との合併が決定し、同年7月28日には財産を引き継ぎ、ここに日本蘭牛協会は解散となる。そして、ジャージー協会の登録事業も吸収し、大正7年10月1日より昭和18年9月末まで中央畜産会が登録業務を実施してきた。
4.ホルスタイン登録協会再設立
昭和18年10月1日から登録業務を中央農業会議が引継いだが、昭和22年11月9日、農業協同組合法(法律第132号)の公布に伴ない、農業諸団体は解体方向(昭和23年3月1日限り)にあった。こうした事情により中断されることになった登録事業は、家畜改良の重要性から畜産局の指導のもと昭和23年5月28日に日本ホルスタイン協会が創立された。
以後、同協会が@ホルスタイン種の血統登録、A同高等登録、B同種系登録、Cエアシャー種、ジャージー種の血統及び高等登録、D戦時中の血統登録書の書き換え、E乳用牛の系統調査、F講習会の開催、G登録簿及び機関紙の発行、などの事業を実施し、今日に至っている。
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