奥久慈しゃもの生産地域は、茨城県北部、久慈川流域に位置し、奥久慈地域と称されている。その中心的な地域の久慈郡大子町は、県最北西端で、西は栃木県、北は福島県に接している。
  県庁所在地である水戸市の北約55qに位置し、総面積326ku、林野率81%で、町の総面積は県全体の約20分の1を占めており、県内市町村第3位の面積であるが、経営耕地面積1,106haと平坦地が少ないため耕地率は9%と低く、1戸当たり平均耕地面積は93aとなっている。
  なお、耕作放棄地面積514haで耕作放棄地率39.1%と県内で最も耕作放棄地率の高い地域である。
  人口は 21,556人(平成21年現在)で、昭和30年の町村合併時と比較して21,568人減少しており、高齢化が急速に進んでいる。
  農家数は2,569戸で、うち専業農家数283戸、兼業農家数2,286戸、 農業産出額は398千万円で、上位から米87千万円、豚78千万円、肉用牛74千万円、乳用牛48千万円、果実36千万円の順となり、畜産が農業産出額の5割以上を占めるなど、町の基幹産業となっている。営農形態は、水稲、こんにゃく、茶、りんご、しいたけ、繁殖和牛、酪農を基幹作目とする複合経営が主体である。
  畜産については、年々飼養頭数及び農家戸数が減少傾向であるが、乳用牛27戸736頭、肉用牛230戸1,199頭と県内でも畜産の占める割合が高い町である。
  特に、大子町は繁殖和牛頭数が県全体の約3割を占める県下でも有名な生産地帯であり、大子家畜市場(年6回開催)では、年間約1,000頭の和牛子牛が取引されている。
  他観光産業として、日本三大瀑布のひとつ「袋田の滝(四度の滝)」をはじめ、緑豊かな自然や奥久慈温泉郷などの観光資源の豊富な町でもある。
  その様な地域において、コンニャク、お茶等の工芸作物や和牛との複合等により農家数16戸で約26,000羽の奥久慈しゃもが飼養されている。







(1)地域畜産振興につながる活動・取り組みの具体的な内容
  過疎化が進む大子町では、新しい農業振興策として、農地面積が少なく、傾斜がきつい土地でも取り組み可能な作目が模索されていた。
  その一つとして、付加価値の高い高級鶏肉の作出となり、昭和60年、奥久慈地域の生産者13戸による任意組 合「奥久慈しゃも生産組合」が設立されるとともに、軍鶏の良好な肉質を併せ持った新品種の開発を進めたが困難を極めた。
  そこで旧茨城県養鶏試験場(現、茨城県畜産センター養鶏研究室「以下、試験場」)に、軍鶏肉の特性を生かした地鶏の開発を依頼し、軍鶏を父方に、母方に名古屋種とロードアイランドレッド種を掛け合わせた3元交配種として、誕生したのが「奥久慈しゃも」である。


<奥久慈しゃもの交配様式>


  奥久慈しゃも生産組合は、地域の雇用を創出し、生産から販売に至るまでの全てを管理し、しゃもの生産を行っている。
  そのため、生産者はしゃもの生産に専念でき、そのため、生産者はしゃもの生産に専念でき、奧久慈産の豊富な間伐材を活用した平飼い鶏舎で、組合指定の配合飼料を供給する他、各生産者が自家産の穀物、野菜などを給与し、雄125日、雌155
日前後と通常のブロイラーの約3倍の日数をかけ、ゆっくり伸び伸びとストレスのかからない飼育方法により、健康且つ衛生的に飼育している。また、70日齢から出荷まで、無薬飼料を給与し、雄で55日、雌で85日程度と、国が基準としている休薬期間の出荷前1週間と比べ、更に長い期間をとる等、より安全性を高めるための取り組みも行っている。
  近年は、地元学校給食の食材として、「奥久慈し ゃも」を提供する等、地元に根差した食育や地産地消への取り組みを行う他、大子町及び同観光協会などと地域との連携を密にし、更なる活性化を進めている。   その後、平成8年に法人化し、消費者の信頼をより高めるため平成16年に、特定JAS(地鶏肉)の認定を取得、更にはJAS法改正(平成18年3月1日)により、新JAS法に基づく、特定JAS(地鶏肉)認定も平成18年12月11日に取得し、現在に至っている。




(2)当該事例の活動目的と背景
  茨城県北地方、特に大子町においては、福島県や栃木県にも隣接する阿武隈・八溝山系に位置し、周囲を山々に囲まれ、林業の他、お茶・こんにゃく等、畜産では、和牛の繁殖と言った兼業農家が多く、特にこれと言った産業も無い山間地域で若者については、都市部へ就職するなど、地域農業の活力低下が懸念されていた。
  また、当時の背景として、昭和50年代は、高度経済成長の真只中で、生活に余裕の出てきた人達(富裕層)は、当時のブロイラー肉に飽き足らず、日本の地鶏、在来種が高級鶏肉として注目され始め、昔ながらの鶏肉(かしわ肉)の味を求める声が聞かれるようになり、特に茨城県では、古くから軍鶏(天然記念物)の飼育が盛んで、全国でも有数の飼養羽数を誇り、その肉は、風味豊かで「軍鶏落し」として珍重されていた。
  そこで、県北山間部の農林業振興対策(過疎地域対策)として、日本三大瀑布「袋田の滝」の観光地である地域性を生かし、一体化した町おこし産業として、地域の余剰労働力と、狭いながらも恵まれた自然環境を活かし、高齢者の副業対策として位置付け、もって農家定住化と所得確保等によって地域の活性化を図る目的とし「奥久慈しゃも」の生産に踏み切ることとした。
  開発に当たっては、試験場の協力のもと、肉の味、次いで雛の生産効率の高いことを目標に研究を重ねた結
果、種鶏の雄系統は軍鶏を用いて、雌系統は、名古屋種とロードアイランドレッドのF1による三元交配からなる高級鶏肉として「奥久慈しゃも」生産の基礎が築かれ、昭和60年4月に近隣の生産者13名により、奥久慈しゃも生産組合が発足した。




(3)活動の成果
  肉質、食味については、独自の飼養基準等から斉一で高品質であるとの自負があったものの、当初は、まったく無名の地鶏(奥久慈しゃも)であるため、販売活動に大変な苦労があった。
  そこで、まず奥久慈地域の中心である大子町において評判にならなければ地域の特産品に成り得ないため、地元の料理店を中心に1店舗ずつ、しゃも肉をもって売り歩くことから始めたが、知名度の低さから食材として使えない、という厳しい答えが殆どであった。
  また、しゃもを、ししゃもと勘違いされることもしばしばであったが、売り込むためには、奥久慈しゃもを使った料理が紹介出来るよう、組合員自ら料理店にも修行に出かけ、普通の鶏肉とは違う奥久慈しゃもの素材の良さが十分生かされる料理方法の開発にも努めた。
  それらの苦労と確かな味が徐々に認められ、地元大子町の旅館や料理店3店舗で利用され始めるとともに、町に訪れる観光客等の口コミによる評判も広がり、噂を聞きつけた県内外の料理店の主人自らが買い付けに来るようになった。
  その後も地道な活動を続け、県内はもとより、東京や千葉などへも出荷されるようになった「奥久慈しゃも」であるが、転機が訪れたのは、1988年(昭和63年)大阪で行われた、全国鶏肉消費促進協議会主催による
「全国特殊鶏味の求評会」(地鶏)において、名古屋コーチンなど、全国の名だたる銘柄鶏肉を抑え第1位になったため、その質の高さは高級素材として有名百貨店や一流料理店からも認められるようになった。
また、地元の大子町の観光商工課や、同観光協会が特産品として、積極的に宣伝するなど、奥久慈しゃも=奥久慈、大子町と言ったように地名とともに奥久慈名産、「奥久慈しゃも」として一躍名声を上げることが出来た。
  現在では、出荷羽数も51,000羽となり、当初の出荷目標羽数は達成することができた。
  特に影響が大きかったことは、長年の地道なPR活動はもとより様々な雑誌やテレビなどのマスコミ等でも度々取り上げられたこと、品質の良さが消費者に高く評価され受け入れられたこと等で地域の特産品としての知名度アップによる地域活性化の役割も十分に果たしている。



(4)地域振興図 
地元商工会の行事や学校給食への奥久慈しゃもの提供や、近隣の産業祭などへの出店を通じ、地域内外へも奥久慈しゃものPRを行っている。 月に一度、特売日を設け来店される地域の住民に対するサービス販売を行っている。




(5)今後の課題
  当初、目的としてきた生産羽数50,000羽をクリアできたことから、今後は更に、100,000羽を目指していきたいが、生産者の高齢化対策として、町及び農業改良普及センターの行う町への参入事業とのタイアップにより、新規参入者の勧誘も含めた後継者確保を進めていく。
  また、飼料のコスト低減を図るため、飼料米給与への取り組みも試験的に始めたばかりであるが、20%給与した場合の肉質、味等で高い評価が得られていることから軌道に乗れば、地元産飼料としての活用にも積極的に取り組んでいきたい。
(評価=焼き鳥店バードランド)」