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     平成22年度 > 1月号 : 宮崎県での口蹄疫に伴う防疫作業に参加して


宮崎県での口蹄疫に伴う防疫作業に参加して
鹿行家畜保健衛生所 榊 原 裕 二


  4月20日、「宮崎県で口蹄疫を疑う牛が確認さ れました。」という1本の電話に家畜保健衛生所 の職員一同、耳を疑うような衝撃を覚えました。 しかしその時はまだ、我が国畜産史上最大規模の 被害になることは想像も出来ませんでした。実際 に発生した農場を訪れて、その後約4ヶ月間に渡 る壮大な惨事の一部分を目の当たりにしました。
  私は5月の連休明けと6月の下旬に宮崎県から の要請で家畜防疫員として現地に派遣され、合せ て20日間防疫作業に従事しました。最初の派遣 で宮崎県を訪れた時は、川南町の酪農・肉用牛農 家での発生から町全体に汚染が拡大し、近くの養 豚農家でも次々と発生がみられた時期でした。毎 朝、農林水産省のホームページで宮崎県の口蹄疫 発生情報を開くと多い日には十数件の発生が確認 されていました。
  私と同時期に防疫作業の目的で全国の家畜保健 衛生所から集められた家畜防疫員は約50名。い くつかのホテルに割り振られ、毎朝7時45分に 送迎バスに乗って町役場(集合場所)に向かいま した。




  作業初日、到着すると駐車場には大小様々な自 衛隊の車とその周りに迷彩服をきた隊員たちが整 列をしたり、小走りで動き回るといった物々しい 光景に驚かされました。
  私たちもバスから降りて案内された役場の一室 に入るとすでに到着していた方たちが作業服に着 替えていたり、手持ち無沙汰に無造作に山積みさ れた資材の中身を好き勝手に確認していました。
  しばらくして宮崎県の職員から簡単な説明を受 けましたが、次々に到着する大勢の作業員たちに 十分な指示を与えるだけの余裕がなく、誰もがど こか冷静さを失い、時間に追われて焦る気持ちを どうすることも出来ずに、周りの雰囲気にただ流 されていました。
  防疫作業は農場毎に割り振られた宮崎県の家畜 保健衛生所の職員が中心になって行われました。 畜主との打合せから本部との調整・連絡、更には 大勢の人の先頭に立って作業の指揮を取るといっ た慣れない任務をこなすことがどんなに大変だっ たのか、焦りや戸惑いながらも必死になる姿を何 度も目にしました。しかし、殺処分が開始され、 まだ日が浅かったことや、とにかく日に日に増え る発生戸数に殺処分の準備が追いつかず、発生農 場に到着しても作業に使用する資材不足で足止め を食らったり、畜主の許可をもらって農場内に処 分場所を設営するだけでも1〜2日を費やすと いった具合で作業は思いの外、順当には進みませ んでした。
  しかし、いつからかそんな宮崎県の職員に対し て、まず応援で参加している他の部所の職員の動 きが少しずつ変わってきました。それまでは指 示に従うだけだった人や家畜や畜産業について無 縁と一歩引いていた人たちが作業に積極的に取組 み、それぞれ自分たちにできることでサポートを しだしました。その輪は県外から来た私たち家畜 防疫員にも伝わり大きな力となりました。
  家畜防疫員の主な作業は発生農場で疑似患畜に 薬剤を投与して処分するといったものでした。当 初は機械的に作業効率をよくすることだけを考え て行っていました。そんな中、一人の家畜防疫員 から「これまでのやり方は効率面だけを重視した 疑似患畜の殺処分に徹してきたが、その中に安楽 死を取りいれられないか」という提案が出されま した。少しでも不安や苦痛を与えずに安らかな最 期にしてあげられないかというのです。処分する 場所にはこれまであまり家畜に馴染みのない人た ちが大勢作業していました。何よりこれまで大事 に育ててきた畜主も、辛い想いを押し殺して作業 に協力していました。そんな状況を誰もがわかっ ていたはずなのに少しづつ周りが見えなくなって いた事に気が付き、今まで経験してきたやり方を 持ち寄り、相談して投薬の仕方を少し見直しまし た。死亡が確認された後も粗雑な扱いをするのを 止めました。みんなで少し気を遣うことで農場全 体のムードが変わるものの、終わってみると作業 効率は今までと比べ差ほど悪くなっていませんで した。その日の作業が終了して、片付けをしてい ると自宅から奥さんが出てきて「今日はいつもよ り鳴き声が小さくて穏やかに過ごせました。」と 話してくれました。これまでは家の中にいても殺 される前の鳴き声が悲鳴のように聞こえ、耳を覆 いたい気持ちだったと胸の内を明かしてくれまし た。




  豚が口蹄疫に感染すると体内でウイルスが増 え、1頭につき1日に約4億個のウイルスをまき 散らします。これは感染牛1頭が出す量と比べる と100 〜 2,000倍に相当すると言われています。 従ってウイルスの拡散や汚染を抑えるためにも体 が大きく大量のウイルスを出す繁殖豚から順番 に、小さい豚へと速やかな淘汰が求められました。 ある養豚農場では、分娩豚舎にいる哺乳中の繁殖 豚を優先して淘汰し、哺乳豚を残し肥育豚舎に移 動しようとすると、畜主から「親と子がバラバラ にならないように一緒に淘汰して埋めてあげて下 さい。」とお願いされました。「我々が今できるこ とといえば他への感染を抑えることで、そのため に豚が処分されるのは仕方がない。せめて生まれ て数週間の親子が亡くなった後も離ればなれにな らないように一緒に埋めてあげて下さい」と。畜 主からのその言葉を聞き、その場にいた人たちは 皆この作業の重みを身にしみて感じました。それ からも畜主は農場内で行われる一連の作業の末、 変わり果てた豚の姿をしっかり目に焼き付けて、 埋却地へと運ばれるトラックが遠く見えなくなる まで黙って見つめていました。
  その後、新たな家畜防疫員と入れ替わる形で順 次、派遣期間が終了した家畜防疫員は地元に戻っ て行きました。私も現地で使用した衣服等は全 て処分するなどウイルスを持ち帰らないよう十分 注意して職場に復帰しました。発生から既に半年 以上が経過しました。その間、292戸の農場で約 29万頭の家畜が処分されましたが、その後の検 査で清浄性を確認し、8月27日をもって終息宣 言が発表されました。現在、被害に遭った多くの 農場では経営再開に向けて少しずつ動き始めてい ます。しかし、今も世界中の至る所で様々な感染 症の被害が報告されていることから、また同じ惨 劇を繰り返すとも知れない状況です。今でも時々 考えさせられることがあります。宮崎で私たちが 行った防疫作業は確かに功を奏して口蹄疫を抑え るまでに至りましたが、被害に遭った多くの方々 の心の支えまでも奪ってしまったのではないか と。今は、一日も早くあの時、歯を食いしばって 流した汗が報われる日が来るのを願っています。