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     平成22年度 >  9月号 : 本邦における口蹄疫の史実


本邦における口蹄疫の史実
茨城県獣医師会  諏訪 綱雄


  10年ぶりに発生した宮崎県での口蹄疫は、本年4月の発生から終息の7月までに、宮崎県内の5市6町村292農場において感染家畜の牛・豚(疑似含む)が21万1068頭に及び、その全てが殺処分され埋却されるというと言う大惨事を引き起し、全国の畜産関係者の心胆を寒らしめたことは衝撃的ことであつた。其処で今回、あまり知られていない、わが国における口蹄疫の史実を紹介することにする。



  1 本邦初の口蹄疫初発県は茨城県とされている

  口蹄疫は明治32年に茨城県内で3頭の発生があったことが、公的な刊行物に報告されている。この頃は、未だ口蹄疫は「流行性鵞口瘡」と呼ばれていたものである。このことは、九州方面から茨城県内に導入した牛3頭が流行性鵞口瘡に罹っていたとされた。しかし、その当時の茨城県の県報告示や茨城新聞等で調べてみても、これ等に該当発生報告の記録は全く無く、その真偽の程は未だに不明である。明治以降に発刊された獣医学等の専門書等でも、明治26年の新潟県初発説、明治32年の茨城県初発説、明治33年の東京府初発説等があるが、実際に口蹄疫のウイルスが証明されたのは、東京府の発生からである。このことから明治33年の東京府の発生が本邦での最初の発生と推察される。



   2 明治33年の東京府を中心にした大流行

 明治33年12月から発生した本病の流行は激しく、東京府、神奈川県外5県に流行が認められ、その発生頭数は東京1265、神奈川644、京都288、石川111、千葉6、埼玉5、岐阜3の発生が見られている。特に、東京府下の流行は激烈で芝、日本橋、本所、深川、浅草、本郷、神田、小石川、牛込、等々に流行し、府下3600余頭の搾乳牛の4割近くの牛に被害があったとされている。その後、この流行は東京始めとする数県で数年間続いた、と記録されている。 
  東京のど真ん中の神田や日本橋あるいは浅草、小石川等で牛の口蹄疫がなぜ流行したのか、現在では考えられないことだが、それは当時の牛乳販売システムにあった。



   3 当時の牛乳販売事情

  明治期に入ると長年続いた殺生禁断の肉食禁止に終止符が打たれ、日本人の食生活にも文明開化の変化が見られるようになり、大久保利光らによって、明治政府勧農畜産政策が進められて「国民の健康を維持するための食肉や牛乳生産は社会的意義のある仕事」とされ、職を失った武士階級の人たちが牛乳の搾乳を始めるようになったらしい。
  当時牛乳を販売するには、行政機関から「牛乳搾取営業鑑札」を受け、5、6頭の牛を飼育し乳を搾り、それをブリキの缶に詰めて、お得意さんを回り、搾りたての生乳を1合とか5勺とかを軽量カップを用いて量り売りしていた。井戸水や小川の水に缶をつけておくしか保存の出来なかった頃で搾った牛乳は、その日のうちに処理しなければならなかった。牛乳1合(180t)の値段は、3銭2厘で当時の日本酒(並)1升と同じ価格であった。日雇い労働者の賃金が20銭の時代であるから、当時の牛乳は、庶民には程遠い高額な飲み物であったらしい。



   4 搾乳牛の種類

  外国種の少ない頃だったので、当時の搾乳牛は和牛が主で一部に赤毛牛、まだら毛牛、赤まだら毛牛、しもふり毛牛等と呼ばれたガンジー種の系統のものも一部飼育されていたらしい。これ等の洋牛種は200円から300円ぐらいの価格で取引されていた。白米1俵の小売価格が4〜5円の頃であるから外国種の牛は高額なものであつた。英国のガンジー種が、わが国に輸入されたには、明治22年にアメリカを通して輸入されている記録がある。因みにホルスタイン種がわが国に始めて導入されたのは、明治18年に北海道函館のトラピスト修道院とされている。



   5 口蹄疫の名称

  現在の「口蹄疫」という名称は明治の頃には、「流行性鵞口瘡」という病名で呼ばれていた。口蹄疫とされたのは昭和2年に家 畜伝染病予防法が改正されたとき、従来伝染性鵞口瘡と呼ばれていたものが口蹄疫と改称されたものである。「鵞口瘡」の名称に ついては、明治7年に柏原学而氏がオランダの『家畜医書』を訳述し『牛病新書』を発刊したが、この書の中で口蹄疫を鵞口瘡と訳している。鵞口瘡という病名は、江戸時代から人医の間で使用されているものであった。また、口蹄疫は別名、流行性あるいは伝染性鵞口瘡、伝染性発疹病、脚熱、牛の舌病(ヘタギピヨン)、口足病など名称で呼ばれることもあった。



   終わりに

  口蹄疫は感染力が強いことと、牛、豚、山羊、猪、鹿などの偶蹄類に感染し、しかもその早期発見が困難なことから防疫上に困難なことが多いことか知られている。畜産関係者は常に本病を理解し、完全なる防疫体制を常に心がけておく必要があろう。

                                                                                                                                                    (文責諏訪)