家畜感染病名の中には、長い間に名称が変り、現在の表現に到達しています。このような病名の変更は、獣医学領域のみばかりでなく、人医社会でも見られます。従来から言われていた「らい病」が「ハンセン病」に、「うつ病・神経症ノイローゼ」が「統合失調症」に変更さたように、病名が社会の偏見や誤解を招くことがあるとの理由で変更されたり、あるいは医学の進歩によってその病原が確定されたり、さらに明確にその病態が分かったりしたために、病名が変更されたりしてきたのです。最近では従来から使用されていた「ボケ・耄碌」とか「痴呆症」と言う病名は、人権尊重の観点から「認知症」に変更されたりしております。
家畜の病名、特に感染症の場合は、文献や古書に記載されているものでも、その時代によって表現が変更されて現在に至っております。その病名は、定義も無いまま昔から使われていた名称や、幕末から明治期に掛けて西洋文化が導入されたことによって、諸外国での疾病名が和訳されたまま使用されたり、病気の症状・行動から呼称されたり、あるいは侵されている臓器の変状によって命名されている例もあります。病気の原因が究明されたため病名が変更され、あるいは、「狂牛病」が「牛海綿状脳症」に、「仮性狂犬病」が「オーエスキー病」と改名されたように、その名称が、社会的に過剰な不安を及ぼすような名称に対しては、行政施策上、改称して来た経緯もあります。このようにして家畜の病名は、長い年月の間に色々と変更されて来ているのです。
今回その主なものについて紹介しますが、病名の変化を整理する関係上、数種の項目に区分して考えてみました。
1 古い時代から現在まで使用されている病名
破傷風は、古く『仮名安驥集』慶長9年(1604)や『新刻参補馬経大全』および天応1年((1319)『方書摘要』天和2年(1682)、『三喜直指篇』原南陽(水戸藩の医師)享和2年(1802)、等の古書にも破傷風として扱われています。また江戸時代の後期には、ツグイとか 牙関症とも呼ばれております。
狂犬病も『医心方』天元5年(973)や狂犬咬傷治方』元文元年(1736)、天明3年(1783)の古書に見られるように、古い時代からこの名で呼ばれておりますが、狂犬は、狂犬・癲犬・風犬・瘋犬・と呼ばれたようです。明治の頃の北朝鮮ではミッチンケーピヨンとされておりました。
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2 従来からわが国にあった病名が明治期以降に変更または改称された病名
炭疽は、『本朝食鑑』元禄10年(1697)によると多智(タチ)とかころり病、また『新刻参補馬経大全」(1319)では扁次黄と呼ばれておりましたが、明治の初めにフランスから来た馬医教師マウギュスト・アンゴーによってシャルボン炭疽、ペストシャルボンノー、腐敗熱、悪性熱、帝扶斯癰疽等と名称され現在は、炭疽と呼ばれています。
馬の伝染性貧血は古くは、『津軽見聞日記』宝暦6年(1754)に、ぶらり病という名称で記述されております。その後、馬疫、悪性貧血、内ナイラ、腰ナイラ、四つナイラ、特異性感染性敗血症、沼熱等と呼ばれたこともありました。
鼻疽は『新刻参補馬経大全』(1319)では瘡黄、カサ、瘡、馬のカサ、痘瘡、ナチレ、ヤクメ、洪水馬疫、ツル瘡、瘡毒(民間古来名)、肺熱病(モルプ)、フワルシー、グランダース等の名称があります。
気腫疽は、『牛書』著者不明 延享元年(1744)によると立病とか酔疽あるいは鳴疽、症候性炭疽と呼ばれていたようです。
牛の結核病は、江戸時代には肺癆とされていましたが、病状の出る臓器によっては、吸入結核症、食餌結核症、乳房結核症、子宮結核症、肺結核症、真珠病、腸結核症、腎・肝結核症、急性粟粒結核症などと呼ばれていました。
3 明治期以降わが国に侵入してきた疾病の病名
牛疫は、明治4年太政官令によってリユンデルペスト、リユンデル疫として法的処置実施されるようになります。また牛疫の名称は、諸種の流行牛病として用いられたようです。
口蹄疫は、鵞口瘡脚熱、牛の舌病、伝染性鵞口瘡、流行性鵞口瘡、口足病とされていました。
牛肺疫は伝染性胸膜肺炎、伝染性肋膜肺炎などの名称でした。
馬の流行性脳炎は、ボルナ病、流行性脳脊髄炎 項痙の名称があります。
豚コレラは、明治21年にわが国にアメリカから侵入してきましたが、当時は、豚の伝染性肺腸炎、豚の虎列剌とか豚羅斯疫、豚ペストの名称もあったようです。
豚丹毒は、豚羅斯疫されていました。ちなみに羅斯疫は仏語のRouget de porcの当て字と想定されます。
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