学校給食用牛乳供給事業は昭和32年度第3学期から開始され、翌33年度から茨城県においても本格的に実施されることとなった。
 学校給食に牛乳が供給されてきた結果、牛乳消費の定着・拡大を促進し、我が国酪農の健全な発展を図る上で重要な役割を果たしてきた。また、成長期の児童・生徒に不可欠なカルシウム、ビタミンB2などの豊富な栄養素を供給し、児童・生徒の体位、体力の向上とともに、牛乳飲用習慣の形成や牛乳に関する正しい知識の醸成に大きく寄与してきた。
学校給食の歴史についてご紹介します。
・明治22年山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で仏教各奈宗派連合により学校給食を実施。これがわが国の学校給食の起源とされている。
・大正12文部次官通達「小学校児童の衛生に関する件」において、児童の栄養改善のための方法としての学校給食が推奨される。
・昭和22年連合軍放出の物資による給食(軍用缶詰、脱脂粉乳等)が、水戸、土浦、日立の21校に実施された。続いて他の市町村にも脱脂粉乳が供給され、県内145校でミルク給食が実施された。
・昭和26年水戸、土浦、日立、古河の旧市内の小学校で完全給食が開始された。
・昭和30年文部省告示により学校給食用物資として乾燥脱脂粉乳が指定される。
・昭和32年我が国の酪農の健全な発達を図るとともに、幼児・児童及び生徒の体位、体力の向上に資するため学校給食用牛乳供給対策要綱が制定された。
・昭和33年農林次官通達「学校給食用牛乳供給事業実施要領」に伴い、文部省管理局長より「学校給食用牛乳取扱要領」が通知され、学校給食に牛乳が供給される。
・昭和38年学校給食制度上に麺(ソフトメン)が正式導入。
・昭和46年茨城県内の給食が全面的に牛乳に切り替わる。(現在に至る)
・昭和51年学校給食制度上に米飯が正式導入。
学校給食献立の歴史