平成17年の干支「酉(トリ)」に因んで、鶏(ニワトリ)について標題のとおりの雑多なことを書いてみます。
 酉=鶏で、ニワトリの称です。ニワトリの古来の名称はカケであり、古事記に収録されている歌に「ニワツトリ カケハナクナリ」とあり、万葉集には「野鳥(ヌツトリ)、雉動(キギシハトヨム)家鳥(イエツトリ)、可鶏毛鳴(カケモナクナリ)」とあるように、ニワツトリ(庭の鳥)、イエツトリ(家の鳥)がカケの枕詞であり、キギシ=キジの枕詞はヌツトリ(野の鳥の意)となります。このうちのニワツトリが現在はニワトリとなって、カケは使われなくなったとされています。また、カケの語源はその鳴き声からとされますが、今使われているコケコッコーのコケと同じ様なもので、よく似ています。現在でも伊勢神宮の二十年に1度の遷宮式において、奥の院の開扉の際に神官が「カケコー、カケコー、カケコー」と三声、発声するそうです。これは天の岩戸の古事に則った儀式で、この声により扉を開きます。
 なお、余談ながら今年は遷宮の年に当たり、伊勢神宮では式に使用する「小国」鶏を求めているそうで、当研究室にも問い合わせが国や神社を介してありました。本で読んで遠い世界の出来事のような気がしていたのが、意外に身近に感じられました。
 さて、酉は十二支の第十番、方角では西方に当り、また、時刻では酉の刻は午後6時±1時間を言います。酉という漢字の原義は、酒の麹が樽の中で発酵することを意味するそうで、一般に吉運とされます。しかし、今年の酉は乙酉(キノトトリ)(乙は木の弟(ト)の意味)で、木は「陰の木」であり、屈折し未だ伸び悩んでいる状態を象徴しているそうなので、手放しで喜んではいられないようです。まあ経済も急に良くなるとも思えないし、何やら当たっているような気もします。迷信と言えば迷信ですが、当たるも八卦、当たらぬも八卦と読んでください。 過去の乙酉の年の出来事をみると、1825年(文政8年)には幕府が異国船打ち払いを指令しています。幕末の混乱期の前触れです。1945年はご存知のとおり、太平洋戦争敗戦による、平和な時代の到来の年です。さて、今年はどんな年になるでしょうか。
〜 鶏に関する諺 〜
 「鶏群中の一鶴」とは、衆人中の1人優れた人を言いますが、これをモジって「鶏群中の一鷹」とすると、私のような鶏にとっては堪りません。せいぜい鶴で居て欲しいものです。鶏は、本能的に鷹や鷲のような猛禽類を非常に恐れます。放し飼いの場合、上空を鳥の影が横切ると驚いて逃げ惑う位で、更にこれに襲われでもしたら、襲われた鶏が殺されなくても、その鶏は勿論残りの鶏群の産卵は、長期間にわたり大きく低下してしまいます。人間でも同じで、私などは自慢ではないけれど仕事の上でこのような目に会ったら、精神的に破綻してしまいます。(既に破綻しているかも?)。このため、鶏を放し飼いにする場合は上空に網やテグスを張って侵入を防ぎますが、人間にも使える何か良い物がないでしょうか。また、「鶏卵を見て時夜を求む」と言う諺があります。これは、鶏の卵を見て直ちに時刻を知らせることを望む、と言うことで早計に過ぎますが、最近は我々の仕事でも、このような事が多いような気がします。特に試験研究に関しては、違和感を感じます。
〜 金鶏伝説について 〜
 少し正月らしい話に移ります。全国には金鶏伝説と呼ばれる話が各地に沢山伝わっていて、一説には百ヶ所以上にもなると云われます。この伝説の内容は、大よそ次のようです。黄金の鶏は権力者や長者の持ち物であり、これらの人達の没落・滅亡後、金鶏は山や川の渕に棲むようになり、捜しても見つからないが時々鳴き声を発するというものです。
 県内には残念ながらこのような話は無いようですが、隣の栃木県の鬼怒川温泉近辺にこの伝説に因んだ鶏岳と鶏頂山と云う山があります。往時、一羽の大きな金の鶏が飛んで来て、この山に休息したので、村人たちは神の使者に違いないとして山頂に神社を建立し、鶏岳と名づけました。その後、鶏は北に向かって飛んで行き、着いた山を鶏頂山と名づけました。今では、どちらの山もハイキングコースとして親しまれているようです。鶏岳は高さが668m、春にはスミレやキクザキイチゲ、ツツジ等が見られ、鶏頂山は高さ1,765mでこちらもハルリンドウ、ショウジョウバカマ、マイヅルソウやワタスゲ等が見られる他、山腹の弁天沼には大きなクロサンショウウオが生息しているという、自然の豊かなところだそうで、山歩きの好きな私としては、是非1度行ってみたいと思っています。
 県内では鶏の付く山として、七会村の下赤沢の西、栃木県との境に鶏足山という430mの山があります。この名前の由来は「新編常陸国誌」に拠りますと、山頂に面積が筵8枚位の大石があり、石に鶏の趾に似た文様が鮮明に見えるため、この山の名としたとあります。この様な石は他所にもあり、紅葉石と言うとあります。鶏の趾の文様と言えば、すぐ思い出されるのが恐竜の足跡の化石です。現在の学説では、鳥類は恐竜から直接分かれたものとされ、羽根の生えた痕跡のある恐竜の化石も発見されています。また、各地で骨の化石と共に足跡の化石が発見されています。この足跡は鳥類とそっくりですので、ひょっとして紅葉石とはそれかも知れません。これは、確かめてみる価値があるでしょう。早いが勝ちです。但し、登山道が整備されていればよいのですが、そうでない場合は藪こぎになります。それを考えると、ち
ょっと二の足を踏んでしまいます。
 速いもので、もう年が変わって申(サル)年は終わってしまいました。
 「酉年で猿は去るなり、さりながら」
と、県職員の昭和19年生まれ申年の人達は、この3月で定年を迎えます。(私事ながら私もです。)この「さりながら」には、複雑な思いがこもっております。でも、これを新たな出発として、去るも残るも
と、酉年らしく元気に威勢良く新たな世界へ進んで行きましょう。